両国の芥川龍之介の文学碑

先日、10/31のことだ。東京の両国にお客さん先に打ち合わせに行く必要があった。その前に渋谷でもう1件の打ち合わせがあったのだが、こちらが予想以上にスムーズに済んで、現地に到着したもののだいぶ時間があった。 天気のいい穏やかな日、両国の観光案内所というのがあって、入ってみて散策マップをもらった。あらためて両国が下町で江戸の歴史の遺構、碑などが多い町だと気が付いた。いくつか見て回ったのだが、明治の文豪 芥川龍之介のゆかりの場所でもあるようで、小学校の入口に、芥川の「杜子春」の最後のほうの一節が彫りこまれた文学碑があった。芥川龍之介の「杜子春」といえば小学校の国語の授業なんかで取り上げられたり、夏休みの読書感想文などで、読んだことのある人も多いだろうと思うので、アラスジは省略する。興味のある人は、参考サイトとして、青空文庫の、杜子春の全文にリンクを張っておくので読んでみてほしい。オジサンになって読むと、小学生のころと違って、けっこう考えさせられる。ちなみに、芥川龍之介の文学碑だが、墨田区には2つあるそうだ。

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成功と栄達
子供の頃はともかくとして、社会に出て働くようになって、出世をしようとは思わなかったけれども、稼ぎは増やそうとしてきた。勿論犯罪は犯していたいつもりだし、ビジネス上であまりに卑劣なことはしてこなかったと思う。基本は、職人的な腕、技術力がメインの武器だったけれども、それだけじゃあ勝てない。勝敗があって相手を叩きのめすための画策をしたり、罠をしかけたり。時に解雇、退職に追い込んだり、非情な決断も行った。
子供の頃に
子供の頃に杜子春を読んだ時には、「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ。」という一文が、怖さとともに印象に残った。また、「これはなんかズルイ」とかも思った。自分のことを思ってくれる母親の部分、それに対して禁じられていた口を開く杜子春そのものも、しっかり覚えていた。 けれど、両国の芥川龍之介の杜子春の文学碑に、彫りこまれていたのは、物語の最終のあたりだが
青空文庫で
俺は、もう一度、杜子春を読んで見たくなって、そのうちアマゾンあたりで本を買う時に、まとめて他のと一緒にGETしようと思っていたのだが、すでに著作権フリーになっているようで、青空文庫に掲載されていた。短編なんでスラっと読んでしまえる。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43015_17432.html 日本の名作とか古典とか、小
改めて読んで見て
最初に読んでから数十年が過ぎている。俺はキリストの「人はパンのみに生きるに非ず」というのは大好きな言葉だけど、勿論、パンは必要だと思う。キリストは労働や働くことを卑しい否定するべきこととしているわけじゃない。男(あるいは一家のメインの稼ぎ手)が、パンを稼ぐことに汗を流さず、「人はパンのみに生きるに非ず」といっているとしても、何だかなぁとしか思えない。杜子春だって、「泰山の南の麓に一軒の家を持ってい